かんぱのまえ

宮崎県の細島港から、山口県の下関にやって来ました。
細島港には帆船 海王丸が来ておりましたよ。
よう会うなぁ。海王丸。

あったかいのも、どうやら昨日までみたいですねぇ。
強烈寒波、接近中なんじゃそう。
あっちこっち凍結しそうじゃから、皆さん気をつけてくださいね。

さて、神の聖、それに伴なう厳しさと共に、神の憐れみの深さ、懐の広さを思う…。

わたくしめはかつて、船乗りの時代に主を知ることになり、祖父のガンの癒しを求めて探し求めたこともあって、図らずも、港々で出会う教会からいろんなタイプの教会の流れを知ることになりました。 こういうあっちこっち行くやつを教会では一般に、しっかりとした信仰に根づくことのできない、根無し草、と評されることも多いようであります(笑)。

わたしがそれであるかはさておき、いろんなタイプに出会って来た中で、人間界のいざこざはどうあれ、神様の聖徒らに対する愛はすげぇなぁと、つくづく思うのでありますよ。 またこの主のために献身した、教会の働きを継続している聖徒の皆さんにも、その大変さを思い、深い尊敬の念を抱くのでありまする…。

港で時間ができて上陸する機会があると、昔は一番はじめに、よく出るパチンコ屋さんを探しまくってたもんですが、クリスチャンの端っこに入れさせてもらってからはずっとこのかた、今もですけど、その町の教会をまず探すのでありまする。 その集会に参加するわけではないんですけどね。たいがい時間外に訪れますもんで。
たまたま集会の時間であれば入っちゃうこともありますけども。
教会を見つけると思うのでありまする。

「ここで、わが主の御名が 讃えられている…。」
「ここで、わが主に向かって、祈りが捧げられている…。」

なんか、知らん人たちの集いではあるんですが、愛おしくてねぇ。
神様の、その集まりに対する応援を願っては、その場を立ち去るのでありまする。

お友だちの中には、西洋宗教化してしまったキリスト教会とはもはや一切関わりを持ちたくないかたもいらっしゃるんですが、わたくしめはそこまでの気持ちにはなりませぬ。

そりゃあね、ハッキリした異端はともかく、聖霊のことをほとんど言わんし知らない所もあるじゃろうし、カルトに足を突っ込んでしもうとるところもあるやしれん。大ズレしとるかもしれんしねぇ。 キリスト教会と看板は上がっとっても、そこら辺は中に入ってみんと分からんことじゃけども。

「御言葉の通りに歩んでない教会が真理を知れるわけがない」
なんてね、厳しい声も聞こえて来ることはありますねぇ。

でもねぇ、主を見上げると、思うんです。
神の前には、五十歩百歩じゃ…。
自分だけは見えとると思うとるかしれんけどねぇ…。

正直、見えてない所はいっぱいあるさぁ。
でも、ぜぇんぶが見えてないなりにも、聖徒は地上でよう頑張っとられる…。
世の中にはもっと上手に運営できる人たちが多いんじゃろうけど、下手くそなりにも、よう頑張っておられる。主のために…。

日本では教会自体が少ない。
しかも、その少ない教会を見て回ってると、老朽化会堂、多いよぉ。
支える聖徒さんたちも少ないんじゃろうねぇ。リフォームとか新築とかしたら負担も大きいじゃろうし。
おじいちゃん、おばあちゃんたちが祈ってる姿を想像すると、胸が熱うなるわ。何のお力にもなれんけどねぇ。
そんなご苦労の中で、今日までこの場所で看板が守られて来て、探し求める人たちの拠り所となって来られた…。
彼らを主が、支えておられるからじゃ…。

黙示録を読むとね、やっぱりそこにいろんなタイプの教会が登場するん。
神様に誉められる教会もあるにはあるんじゃけど、ほとんどが はぁ叱責されとるん(笑)。サタンの王座が入り込んどる教会さえ出てくるんよ。

でもねぇ。驚くべきことは、そんなデコボコチームを、
主が!
ご自分の大切な教会として、そして御使いがおる所として、そして御霊のともし火が灯っとる所として、扱っておられるんよぉ…。

見よ、神の懐の広さとその愛を!

わたくしめは、たとえ嫌われても応援する。

頑張れ! 地上の聖徒たち!
頑張れ! 地上の主の教会!

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なかか そとか

大分で積んで、関門港にまわってきました。
今日は春の陽気でしたねぇ。穏やかで。
こんな毎日だといいのに…(笑)。
来週はまた強烈な寒気がやって来るそうでありますよ。ああ、ヤダヤダ。

さて、穏やかな日に、虐殺についていろいろ思いを巡らせておりました。
こう書くと物騒ですけども(笑)。

聖書を信じたくない人たちの記事が時々目に留まったりするんですが、旧約聖書の中に出てくる、神様による皆殺し命令ね…。
幼な子を含めて容赦なく聖絶する記事、ありますもんね。
他にも、安息日に自分のために仕事しちゃった人、死刑になったりとか…。

この説明って、難しいなぁ。

きっと丁寧に説明できたとしても、聖書の矛盾だとしてアラ探しする人達にとっては、どんな説明でも納得できんじゃろうしなぁ…。

われわれ信じる者にとっては、神は良きお方で、信頼しとるわけで。
この神が何かされるからには、たとえわれわれの理解を超えた事であっても、せめてわれわれが天に帰った日には納得できるであろう正当な理由があってのことじゃと思えるん。 この神が「悪い」とされたなら、ほんまに悪かったんじゃろうし、「聖絶」を決められたんなら、ほんまに聖絶に足る有様じゃったんじゃろうと信じれるん。

幼な子まで聖絶せんでも…と多くの人は思うじゃろうなあ。
さらりと読むと酷いけど、記憶細胞とか遺伝子レベルまで突き詰めると、納得できる理由が分かってくるやもしれんしねぇ。
そんな専門的なお勉強まではようせんけども…。

聖書のことをいぶかしがっとる人達が納得しないのは分かっとるけど、わたくしめなりに思うことは、あるにはあるん。

神の聖。救いに至る門の狭さ。されど、救いに入った者に対する救いの完全さ。
反対に、救いに入ることを望まなかった者たちのあわれ…。

長くなりそうじゃな…。
書くのやめとこうかな…。

ちょっとだけ挑戦してみるか…。

モーセたちの、殺戮を含むあらゆる出来事は、見えない神の御国に関することを、視聴覚教材として、世に見せるためにあったと思うん。

たとえば安息日に仕事した人の死刑。

この安息日が指し示しているのは、「キリストにある安息」であって、言いかえれば「キリストによる救いの中」。

この安息に入ってないと、神の民ではない。神の民から絶たれとる。
モーセの時のようにこの世にいる間に死刑にはならんかったとしても、神の前には絶たれた人、死んでる人、救いの外におる人、神の知恵、神の恩恵をついに知ることができない人じゃ…。 それは死刑にならずとも、神の御国の前では死刑も同然。

安息日については、単に土曜日に仕事せんと休んどったらええという話しではないと思うん。
キリストにある安息を是が非とも見つけて、そこに何としても入るように指し示しとるのが「安息日」の意義、「安息日」のメッセージじゃと、信じるん。 ヘブル人への手紙は、そういう事が言いたいんじゃと思うよ。3章、4章とかね。

神がもし、圧倒的な臨在の中にご自分の「聖」を示されたなら、問答無用で肉なる者は撃たれて、モーセの時の虐殺が足元にも及ばん哀しい事が起こるじゃろう。 肉なる者は納得できんで歯ぎしりするじゃろうけどね…。

聖書をいぶかしがる人たちは、人間は救いようがまだある存在じゃと思うとられると思う。
だから神の聖絶命令は、神らしからぬものと思えるんじゃろう。

でも、主を知ってしまった私たちは知っとる。

人は、

ほんまに、

救いようが、

ない……。

なのに!

救い主はこの救いようのない者のために来られた…。
そして、一方的な神の恵みにより、救いに値しない者が、ただ信仰によってキリストの安息の中に入れるようにして下さったんじゃ…。 それが、

十字架のみわざ…。

その彼が、間もなく今度は御父の栄光を帯びて、おいでなさる。
こんどは身体をも含めた救いの完成を携えて…。
安息の外におる肉なる人たちにとっては、容赦のない聖なる電撃を携えて…。

下関の夜景

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せとうちいり

対馬への2往復、やってきましたよ。
1回目は穏やかな天候の中じゃったんですけど、2回目は、昨夜低気圧の通過に出会ってしまいまして、ま、発達しなかったから長引きはしなかったんですけども、波が立つ中 帰ってまいりましたよ。

対馬海峡はよくシケるし、対馬自体、浅瀬や狭い湾曲部がたくさんあったりして皆さん嫌がるもんで、うちが専用船のごとく、お得意さんになっておりますけども。 したがってこの荷物が軸になっておりますゆえ、それを離れて遠方に行くわけにいかないもんですから、うちの船の配船は西のほうがメインなんですよね。

勝手に祈りの沿岸警備隊を気取って、海上方面からとりなしの祈りをさせてもらっておりまするが、ま、今はこちらで集中して祈れと、いうことなんでしょうかねぇ。

朝鮮半島有事の際には、在韓の日本人や米国人の一時避難場所として、対馬が国に注目されとんじゃてね。
あんまりええ港はないし、宿泊施設なんかはあんまり見当たらんけどぉ…これから整備すんのかな??

ま、平和に越したことはないんじゃけどね。

明日は大分積みの、響灘に来てる外国船の給油でござる。

ちょいとくたびれました。
まだ到着には2時間ほどありまするが、一寝入りさせていただきましょう。

ではまた…。

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じなんの おきにいり

どうやら、超寒かった寒気団は通り抜けたようですな。
今日は動くと 毛糸のセーターは暑いぐらいじゃった。

北九州の戸畑の外国船にバンカー(給油)してからやっと、待ち望まれていた対馬の発電所行きの荷物を積めましたよ。
2往復しないといけない羽目になっておりますけども(笑)。

離島の皆さんのライフラインの一つを、この船は担わせていただいておるんですなぁ…。
今しばらく待ってておくれやす。主のシャロームと共に、明日にはお届けに参りますよぉ(^^)。
いつものように、主のご臨在も、対馬の地で祈りたおしてさしあげます(笑)。

教会もいくつかはあるみたいですね。
聖公会、福音教会、セブンスデイアドベンチスト…。
主の御名を呼ぶ貴重な人たち…。
頑張れ! 離島の聖徒の皆様!

さて、歌劇団に入ってる三女と次男は昨日、地元の文化会館ロビーコンサートに出演したんじゃそう。
次男はネクタイにジャケット。
お友達にも好評じゃったんじゃろうねぇ。とってもその出で立ちが自分でも気に入ったみたいで。
お風呂から上がってパジャマに着替えてもその上からネクタイにジャケット。
翌朝起きたらいきなりネクタイにジャケット。
きっと今日も着ておるんじゃろうなぁ…(笑)。

そうそう。自分でお年玉で買った釣竿も、寒くて釣りには行かんけど、家の中でも外にでも、常に持ち歩いておるそうな。

パパはママから聞いて、その姿を思い描いて笑けてくるけどね。
かわゆいヤツめ(^^)

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せいしょてき じゅうぶんのいち

下関に来ております。外海がずっと荒れておりましたので、対馬行きが延期になっている一方で、その間に瀬戸内海の中でできる荷物を運んでおりました。

身体が凍りそうじゃね(>_<)

でも、家族が食べていけるためなら、何だってするゾォ(笑)

経済的にはかなり立ち直って来たので、感謝なことでありまする。

また、物資が豊かな日本におらせてもらってるのも、感謝なことでありますねぇ。
どこやらの国でもし生まれておったなら、搾取され、コントロールされ、飢え、凍えとかにゃぁならん…。可哀想に…。

でもね、経済的ピンチを通ったからこそ、貧しさを味わったからこそ学べて、そして実践に移れたことだってあるもんよ。
豊かな時には思いもよらん事じゃったけどね。

十分の一献金とかね。
わたくしめは伝統的になっとるこの習慣を、大切なことじゃと思うとったから欠かした事はなかったん。
でもね、生活のバランスの何ちゃら係数とか指数とかいうのは詳しくはないけれど、収入が低くて、生活がある線より下に陥ってしもうたら、はぁあれは物理的にも無理じゃ。
神様が助けてくれる?
うん、確かに助けて下さったんじゃけど、神の仰せなら神様が責任とって祝してくださるには違いねえんじゃけど、神様の仰せからズレとったら、神様はそんなことまで祝す理由がねぇ…。

リーマンショックで生活が厳しかった時、当たり前に思うとったことを続けてて一向に好転しない現状を見て、あれ??って思い始めたん。
そんな頃、ヘブライ背景を知って聖書を読むことに興味が湧いてたんじゃけど、そんな中で、ひょっとすると、当たり前に思うとったことに、ズレがあるかも…と気付きはじめたん。

こっちのほうが御心じゃねぇかなと、思い切って方針転換したら…こんなに回復しとるわ…。
失なうお付き合いもいっぱいあったけどね(爆)
新しいお付き合いは増えたけど。

いやね。捧げれる人は幾らでも自分が決めた通り献金したらええと思うん。
活動には実際にお金が必要なわけじゃからね。
十分の一と自分で決めてするんはね、またはそれ以上してもええわけよ。
でもね、それをせんと祝福されんとか、それどころか神から盗むことになって呪われるとか言われたら、貧しい聖徒じゃぁてせんとおえんと思うが…。
無理な人にそれを言うたら、神様はどう思われるじゃろう??

ちょっと古い記事を拝見したんじゃけど、ビックリしてください。
「聖書的十分の一」と信じて現在十分の一をしている人は、罪じゃ!と考えとる人たちがおることを…。

分かった上で、自分が十分の一程度と決めて献金する分は、それはええと思うよ。その団体の経済に弾みがつくでしょうからね。全財産でも捧げたらええ(笑)。
ただ…、自分が祝されたいがため、そんな動機で捧げてしもうた人は、肩すかしに会う可能性をご忠告しとくよ。
純な動機の人には報いがあるじゃろうけどね。

以下、イーストウインドウさんから拝借。
http://eastwindow18.hatenadiary.com/entry/2016/12/06/230412

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さむい

どぁ〜、今日の仕事は寒かったぁ(´Д` )

時折 雪の混じった冷たい横殴りの風が、イテテテテ…。
子どもたちのあったかいホッペが恋しゅうござる。

できるもんならこんな日は、お休みっちゅうわけにはいかんもんかねぇ(笑)。

対馬行きは、積んでも走れんよって言ったら、違う荷物をブッ込まれまして、宇部で積んだ後、徳山に向かっております。
徳山なら、島に囲まれたいい湾になってるので安心じゃけどね。
週末までは寒さが厳しそうじゃねぇ。

風邪ひかんように、あったかくしてお休みくださいよ(^^)

お年玉で買ったそう

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しゅが しゅ

まだ宇部におります。
今日は大シケ。ずっと待機でありました。
おかげで、外作業も出来ませず、いっぱい集中して聖書が読めましたけどもね。
外は嵐でも、霊が喜んでおりまするよ(^^)

出エジプト記。
神がモーセに現れ、エジプトで奴隷状態にあるイスラエルの民を救出することが告げられた。
イスラエルの民はヤッタァ!とばかりに神に伏して感謝を捧げたんじゃけど、民の期待を一身に受けたモーセがエジプト王パロのもとに行った途端、救出解放どころか、イスラエルの民にとって具合の悪いことが起こった。 怠け者!…いうことで更に労働がキツくなってしもうたん。
民はモーセとアロンに恨み節の言葉を投げつけて、モーセ自身も困惑。
神様、どうなってるんですか?とモーセは神に問う。

神はモーセに言われた、「わたしは主である。 わたしはアブラハム、イサク、ヤコブには全能の神として現れたが、主という名では、自分を彼らに知らせなかった。 …。
わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。わたしがエジプトびとの労役の下からあなたがたを導き出すあなたがたの神、主であることを、あなたがたは知るであろう。 わたしはアブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を挙げて誓ったその地にあなたがたをはいらせ、それを所有として、与えるであろう。わたしは主である』と」。出エジプト記‭6:2-3, 7-8‬

学ばされるねぇ。
これからミラクルがいっぱい起こるわけなんじゃけど、その前に、神の民は、
「主が 主である」ことを しっかり学ばんとおえんかった。

神様は人間を幸せにせんとおえん人間の子分ではない。主じゃ。
人間が願った通りのタイミングで人間が願った通りのことをせんとおえん便利屋さんではない。主じゃ。
主は、ご自分がなさると決めたことをご自分がなさりたい時になさる、主じゃ。
クリスチャン個人個人の内にしっかりと王座を占めていただくべき、主じゃ。

神はこの後モーセを通していっぱい奇跡をなさったけど、モーセは自分がやりたい時にやりたい奇跡をしたのではない。
主がせよとおっしゃったタイミングで、主がおっしゃったことをおっしゃった通りにしたり宣言した時、ミラクルは起こった…。

クリスチャンもそうじゃね。
全能の神を信じたならば、
主が、主であることを
生活の中に学び、そう生きんとおえんね。

燃えてくるぜぃ( ̄∀ ̄)

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