心の病の子たち…。
どうしてあげたら、ええんじゃろう…。
生い立ちを聞いたりしたら、たとえばあの子は親から酷いことされ続けて、そりゃ心は病むわと思わされる…。
我慢して、我慢して。
辛抱して辛抱して。
親にもなって、一生懸命生きてきて…。
それでも指の間から砂が落ちるように、幸せがこぼれ落ちていく…。
イエス様信じたのに、教会にも振り回されて苦しくて。
なんちゅうこっちゃ…。
イエス様信じてもよ、長いこと安息に入れんでおるのは、どういうことなんじゃろう…。
鮮やかに解放される人もおる一方で、こんなに長いこと悩みの中におらねばならないなんて…。
ヘブル人への手紙によれば、安息に入れないのは不信仰だからとズバリ書いてある…。
しかしそこを指摘したところで、自分だって分かってんだよね。
だけどこれ以上どうやったら信仰が持てるのか分からないから、苦しいんだよね…。
何か、ボタンの掛け違いがあるんじゃろうなぁ…。
父よ。憐んでください。
この子たちはどうしたらいいのか分からないでいるのです…。
父よ、私たちも憐んでください。
どうしてあげたらいいか、分からないでいるのです…。
学んできたこともあまり役に立ちません…。
主よ来てください。
この子たちの心の内に来てください。
あなたがこの子たちのいのちとなり、あなたがこの子たちの信仰となって、永遠の喜びを体感させてあげてください…。
とにかく、分からんけど今は、つながりだけは持っておくとええんかな。
つながりから、いのちが流れるとええけどな…。
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