たしかなみち

ソロモンのような人でさえ…。

さて、この頃は、列王記を読んでおります。

信仰者たるもの、どんなに優れた経験にあずかったとしても、その経験を誇ることは、できませぬねぇ…。
経験のようなこともまた、それらは皆、神の御心に従ってそれぞれに着せられた、着物のようなものに過ぎない。

ソロモン王は、誠の神と、語り合うことができたおかたでありました。
神殿では圧倒的な神のご臨在を、目の当たりにしたおかたでもありまする。
神からの賜物としての知恵にも満ち、その富は、世界の財が集まったかの如くでありました…。

それでも…、主のおおせに背を向けることは、出来てしまうのだ…。

彼は妻たちの偶像礼拝に誘い込まれ、誠の神を見失なう。
あれほどの経験を持っていたにもかかわらず。

そのために神は、彼に敵する者たちの興隆を許される。
王国が裂かれることも許される。
悔い改めない世代になると、あれほどご臨在を豊かに現された神殿さえ、ためらいなく敵に蹂躙させることを許される…。

まことにソロモンさんが伝道者の書で告白されているように、世のなりわいは一切が、空なのだなぁ…。

わたくしは思う。

主イエスによって神を知ることがゆるされたこのこと、これに優る幸いは他にない。

これこそが、わたくしたちがとどまり、また守るべき道。

ソロモンさんが晩年に告白されたことも、まことに、アーメンでござりまする。

[伝道者の書 12:13]
結局のところ、
もうすべてが聞かされていることだ。
神を恐れよ。神の命令を守れ。
これが人間にとってすべてである

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ないすみてゅる について

パパをやってる ホームスクーリングもやってる 5人のパパ タンカーの航海士 愛知県在住
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