まずしき とめるもの

「貧しい兄弟は、自分が高められることを誇りに思いなさい。 また、富んでいる者は、自分が低くされることを誇りに思いなさい。富んでいる者は草花のように滅び去るからです。」ヤコブの手紙1:9-10

ふと…、感謝な気持ちが湧き上がった…。

わたくしが、大金持ちの、時間を持て余すような人でなかったことを…。

もし今、この精神状態のままで富や自由にできる時間があったとしたら…、どうしてただろう。

今さら自分の享楽のためには使わないにしても、慈善事業のようなことに散財することだろう。
あるいはクリスチャンの集まりのためにドカンとささげてしまうだろう…。
神の心を尋ねず、あるいは尋ねても応答のみ声を待ちきれないままに…。

世の人には誉められるかもしれないが、「主のお心を締め出した」善行で残るものはただ、自己満足…。

本当に、世の知恵なきわたくしにとって、稼ぐのは簡単でない。
従って自分のために使う時間の確保も簡単ではない。
しかし、この不自由さの中に、主からの教えがどんなに満ちていることか…。

不自由だから、わたしは神の御心しか行なうことができない。
なぜなら、御心のことならば、どんな不自由さも、世界中からの妨害さえも、それを遮ることが出来ず、出来てしまうのだ。

御心だから。

しかも御心のことならば、神がどんなところからでも富を集めてくださって必要を満たし、実現させてくださる。

御心だから。

主よ、感謝します。
あなたはわたしを驕り高ぶりの罪から守り、へりくだりを学ばせて下さいます。
諸行無常の雑多より、わたしはあなたのお心を恋慕います。

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。 これによってわたしはあなたのおきてを 学ぶことができました。 あなたの口のおきては、わたしのためには 幾千の金銀貨幣にもまさるのです。」詩篇119:71-72

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ないすみてゅる について

パパをやってる ホームスクーリングもやってる 5人のパパ タンカーの航海士 愛知県在住
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