おにのめにも なみだ

この世には、ユダヤ人と称しているが実はそうではないサタンの会衆がいるという。黙示録2:9

わたくしには、断定できるほどの情報量なんて微塵もないですけども、本当にそういう人たちがこの世を操れる立場に、すでにいるのかもしれませんよね。 このコロナやワクチン騒動なんかも利用して…。

わたくしにはとうてい分かりませんけどもね。

日本に、コロナ感染者が世界的に見て異常に少ない理由を、わたくしなりに考える事もあるわけですが…。

こんな記事に触れ、日本人の先人たちがユダヤ人の皆さんにした良き事を神様が覚えてくださっていて、鬼の心をも動かして、恩恵をくださっているのかなぁ…とも思ったのでした…。

まことに、この世は闇が支配しているのではなく、神に泳がされている闇をも利用して、神が、治めておられるのだなぁ…。

以下、yahoo知恵袋、モカコーヒーさんの書いておられた記事。
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杉原千畝さんの葬式には沢山のユダヤ人が集まり日本で土方してるユダヤ青年が作業着のままお通夜に駆け付け「ユダヤ人を助けてくれてありがとう。少ないけどとってください」とお香典を置いて行かれたそうです。

ロスチャイルド家は明治以後の日本に尽くす。
日本の新橋横浜間の鉄道施設資金を払ってくれた。
明治天皇も昭和天皇もロスチャイルドに深い恩恵を感じてて
勲一等瑞宝章を贈っています。

日露戦争の時欧米人の目には日本がゴリラに立ち向かう日本猿に見えWaspのJPモルガンなど日本に資金援助しようとしなかった。

一方ユダヤ財閥ジェイコブ・シフは戦費不足に苦しむ日本政府に資金調達した。戦場で日本軍が使用した最新兵器は英国のユダヤ系軍需メーカーがつくった駆逐艦隊だった。

シフはロシアでユダヤ人がポグロムで迫害されてきたので日本に期待したのです。

日清戦争の時の殊勲艦もユダヤメーカーだった。

シフの孫のジョン・シフは第二次大戦後日本財閥のリクエストに応え首都圏の高速道路建設費用を調達してくれた。

戦後復興の道路建設資金にも事欠き日本の道路は穴ぼこだった。
ジョン・シフが日本が世界市場をめざし闘おうとする意欲を評価したのです。
ジョン・シフのバックにロスチャイルドがついています。

ユダヤ人は政商が多いですね。占領下の日本で政商してのしあがったショール・アイゼンバーグ。終戦後八幡製鉄のためにフィリピンインドなどから鉄鉱石を買い付ける仕事を任された。占領下の日本では日本国籍者は海外から自由に原料を調達する資格がなかった。彼は八幡製鉄に鉄鉱石を納入する最大の供給業者になった。 彼の得意技は発展途上国の産業インフラの整備を受注することだった。

戦後日本が2つに分断されなかったり天皇家が守られたのや樋口季一郎がソビエトに引き渡されなかったのも樋口や杉原ビザで助かったユダヤ人がマッカーサーに助命嘆願したからという。 マッカーサーはアメリカをここまで大きくしたユダヤ人の力を感じてたでしょう。

杉原ビザで助けられたシカゴ・マーカンタイル会頭レオ・メラマッド
​杉原からもらったビザを人生の原点にし日本を深く愛するメラメッド。東日本震災に見舞われた日本に対し「日本は必ず立ち直る」と温かいエールを送ってくれた。親日家として日本に多額の寄付を送ってくれた。 震災後、略奪が起こらなかった日本に対し称賛が起こる中、メラメッドは「当然のことだ。日本は最も礼儀ただしい人なのだから」と語り微笑んだという。 メラマド氏は2015年4月早稲田大学から名誉博士号を授与されている。

1950年、アインシュタイン博士が来日した時、渋谷のシナゴーグで歓迎式パーテイが開かれ来賓として樋口季一郎夫妻は呼ばれた。
このパーテイで樋口はユダヤ人のミハイル・コーガンから思いがけない話を聞かされた。樋口がたすけたユダヤ人がアメリカで力をもちマッカーサーに樋口の助命嘆願してくれたこと。 マッカーサーが擁護した理由が明かされた。
連合国軍総司令部を指示したアメリカ国防総省に影響力があったのが世界ユダヤ協会で、樋口が助けたユダヤ難民は世界ユダヤ協会の幹部になり樋口を救出するように働きかけてくれていた。この事実を伝えたミハイル・コーガンは後に「極東のユダヤ人」という意味を持つタイトーを設立している。

樋口 季一郎がシベリア鉄道・オトポール駅で亡命ユダヤ人を救ったのは。
樋口がドイツに行ったとき日本人を泊めてくれるドイツ人は一人もいなかった。
ユダヤ人だけが宿泊させてくれた。

樋口季一郎はコーカサスにはじめて入ることに成功した外国人となった。後にユダヤ人から恩人と称賛された樋口は、この時の旅で一人の不思議なユダヤ人の老人と出会った。 革命後10年しかたってないソビエトで。

樋口はグルジアの首都チフリス郊外のユダヤ部落で貧しいユダヤ人の玩具商と出会った。

その老人は樋口が日本人と知ると最敬礼し家に招き入れた。老人は涙を流しながらこう訴えてきた。

「私たちユダヤ人は、世界中で一番不幸な民族です。何処にいっても虐められてきました。暴虐の前に刃向かうことは許されない。ただ、神に祈るしかない。だれをも怨んだり、憎んだりしてはならないのだ。ただ、一生懸命神に祈るのだ。そうすれば、かならず、地上の君メシアが助けてくれる。
神はメシアを送って助けて下さる。メシアは東方から来る。日本は東方の国だ。日本の天皇こそ、そのメシアなのだと思う。そしてあなたがた日本人もメシアだ。われわれユダヤ人が困窮している時に、いつか、どこかできっと助けてくれるにちがいありません。」

深い皺の刻まれた老人の目じりから、涙がしたたり落ちていました。

1938年クルスタルナハト以後迫害されるユダヤ難民はイタリア船や日本郵船の船に乗りビザの必要ない日本占領下の上海租界めざしたのです。

東條英機は2万人以上のユダヤ難民を救ってます。当時、ユダヤ難民を積極的に受け入れる国は極めて少なく、日本軍が実質的に統治していた上海は世界で唯一、ユダヤ人が入国ビザなしで上陸できた場所だった。そこを目指して同年3月、ユダヤ難民が極寒の中、シベリア鉄道の終着駅オトポールに押し寄せた。その先には日本軍が駐留する満州があり、入国を求めた。日本はソ連に対抗してドイツと「防共協定」を結んでいた。しかし凍死者が出る中、関東軍のハルビン特務機関長・樋口季一郎が受け入れを決断。一説には約2万人が救われ、日本や上海に向かった。

ナチスは日本に日本支配下のユダヤ人を殺すように指示したが日本は拒否した。 ユダヤ難民が満州や日本、上海の日本租界に押し寄せた。上海の共同租界は3万人ものユダヤ人であふれていた。1942年ヒムラーがマイジンガーを送り込んだ。 マイジンガーによる「ユダヤ人処分」の提案は、(1)廃船に乗せて東シナ海に放置し、餓死させる。(2)岩塩鉱山で酷使し、過労死させる。(3)揚子江河口に収容所をつくり、生体実験を行う――といった惨忍なものだった。当然、ユダヤ人差別を認めない大方針を採る日本政府としては、一切受け入れられるものではない。
上海のユダヤ人に危機が迫っていることを知らせ、上海にゲットーが設けられた。日本がつくったゲットーは、仕事のためなら日中の出入りは自由で、強制労働とは無縁だった。ユダヤ教学問所も8か所にあった。 上海にいたユダヤ難民が戦後語った。ポーランドのアウシュビッツはこの世の地獄だったが上海のアウシュビッツは「楽園」だった。

安江仙弘陸軍大佐 と ミハエル・コーガン

ユダヤ人保護に尽力した安江仙弘陸軍大佐は大連で終戦を迎え シベリアに抑留され 帰らぬ人となった。 1954年、失意の生活を続けていた日本の安江家を、巨漢のユダヤ人が突然訪問した。 このユダヤ人は安江仙弘陸軍大佐の遺族に「葬式は出したのか」と尋ねた。「まだだ」と答えると、「お金はこちらで用意します。極東のユダヤ人たちの安江大佐への恩返しの気持ちだから、葬式を出してください」と頭を下げて頼み込み始めた。 遺族はこのユダヤ人の熱心さに打たれて葬式を行なった。 以後、このユダヤ人は安江仙弘陸軍大佐の長男と親交を結ぶようになった。 このユダヤ人こそ ミハエル・コーガンだった。 彼は1920年オデッサで生まれ。ロシア革命後の混乱を避けて、1932年、満洲のハルビンに移住した。 彼は1938年にハルビンで開催された「第2回極東ユダヤ人大会」では、シオニスト青年団の一人として参加し、安江仙弘陸軍大佐を護衛していた。 彼は「安江さんに助けられたユダヤ人の数は5万人に上ります」と語っていた。

シカゴ・マーカンタイル会頭レオ・メラマッド
​杉原からもらったビザを人生の原点にし日本を深く愛するメラメッド。東日本震災に見舞われた日本に対し親日家として日本に多額の寄付を送ってくれた。

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ないすみてゅる について

パパをやってる ホームスクーリングもやってる 5人のパパ タンカーの航海士 愛知県在住
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