いつくしみと きびしさと

お船は博多に来ております。

しばらく長距離航海が続いていたのため、なんだか数日ぶりに、人間らしい時間に眠れました。

聖書通読はサムエル記を通っております。

執拗に忠臣ダビデを殺害しようとするサウル王のあたり…。

人間は、良い人悪い人…と、二元論で簡単に分けられるものではないですよね…。

われわれはこの現実を受け入れ、鼻で息する者を頼りとしてはならないことを、思い知らされるものであります…。

サウル王は、神を知らない者ではなかったのであります。

神からの直接のお言葉に基づき、預言者サムエルにより、油注がれ、任命された人なんですよねぇ…。

始まりはとっても良かった。

彼は、神の霊に感じて、預言状態さえ自分自身で体感した人であります。

神の民の国、イスラエルの王に選ばれた人としては申し分なし。

彼の没落は、その立場にありながら、神の言葉の「すべて」に聞き従わず、いいとこ取りする気質から始まってしまったのですね…。

トーラーをないがしろにしちゃったら、神の人でも、こんなんなっちゃうんだ…。

よく立ち寄らせていただく方のブログ記事に、ちょうどマルチン・ルターについて特集されておりました。

マルチン・ルターといえば、電撃的ともいえる神様のタッチにより、「信仰義認」の確信が与えられ、宗教改革の父とまで呼ばれるようになった人ですよ…。

キリスト教会の歴史を大きく転換した偉人の一人に数えられておる。

しかしながらこの人は、アンチ・ユダヤ思想の土台を築く人にもなってしまった。

彼の思想に影響された一人に、あのヒトラーもいる…。

神に触れられた一人が敷いてしまったこの土台のゆえに、いわれなき冤罪のユダヤ人の血が、時代を越えてどれほど多く流されてきたことか…。

サウル王は、ダビデをわずかでも保護した神の祭司たちを、エドム人ドエグによって殺戮した。

神の忠実な祭司たちを殺すことは、完全に、神の瞳に触れることだ。

ああ…、どうしてしまった、神の人たち…。

われわれはこのことを、わが教訓としなければならない。

どんなに神のタッチを知り、聖霊経験があったとしても、わたしたちはともすれば、神に敵対することができてしまうのだ…。

神と、神の言葉を畏れよ、わが魂よ。

神の慈しみに甘んじて、おごり高ぶることがあってはならない…。

また、わたくしと同じように弱さを持つ兄弟姉妹を、簡単に見捨てるようなことがあってもならない…。

間違い、勘違いもあるさ…。

でも一緒に成長させていただきつつ、王の来られるその日を、みんなで、迎えようではないか…。

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。 あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。

ヨハネによる福音書15:1‭-‬10

ないすみてゅる について

パパをやってる ホームスクーリングもやってる 5人のパパ タンカーの航海士 愛知県在住
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